イギリスの歴史教育

そういうことを考えていたときに、那須さんからトラックバックされた。中途半端にid:flapjack:20050612でリンクをはっただけのトリストラム・ハントのガーディアン論説の意味について解説してくださったのだ。あることについてちょっと書いてはそれをフォローしきれずに終わってしまうヘタレなので、非常にありがたい。心苦しいが以下の行論上、かなりの部分を引用させていただく(以下では元の文章に付されたリンクが落ちてしまうのでぜひ全文をこちらでごらんいただきたい)。

ハントがコラムで批判しているのは「イギリスの歴史教育における複数主義的伝統(the pluralist tradition in British history teaching)」を否定し、アメリカや日本で進行しているような単一的な愛国教育へと方向転換しようとする政治的な動きである。もちろん、日本の歴史教育のやっていることが愛国教育だけとは言えないし、イギリスも自国が世界中で展開した植民地支配を批判的に検討することに長く消極的だった。しかしそういった内容の問題を超えて、イギリスの歴史教育が例えば日本のそれとは全く異なるものであることは確かだ。ハントによればそれは「一次史料への集中、相対立する記述の分析、そして徹底して掘り下げるエッセイ(the concentration on primary sources, the analysis of competing accounts and the writing of in-depth essays)」によって鍛え上げられるものである。これは高等教育ではなく、実に小学校レベルから始まっているのである。イングランドのナショナル・カリキュラムを読めばその特徴ははっきりする。5才から16才までの11年間の義務教育は四つの段階(Key Stage=KS)に分けられていて、歴史は14才までに三つのKSで学ぶことになっている。その中身を読んでみると、たとえば「歴史解釈」がKS1から学習内容に含まれていることが分かる。KS3では「生徒は(a)歴史上の出来事、人々、状況、変化が、どのように、そしてなぜ異なる仕方で解釈されてきたのかを学ぶこと。(b)そうした様々な解釈を評価することを学ぶこと」とある。ここに書かれているようなことは、日本ならば大学に入って歴史学専攻を選んだときに初めて、まるで企業秘密のように明かされる考え方だ。高校いっぱいまで、歴史とは解釈の余地のない事実として教えられるからだ。歴史教育と一口に言っても、やっていることは全然違うのである。この違いをしっかりと認識し問題化している人はあまり多くないように思う。見事に論じているのは佐藤正幸氏の『歴史認識の時空』に収められた「歴史教育における知識と思考」だ。

イギリスにいるときに、現地の学校(グラマー・スクール)に通っている日本人の男の子(日本でいうと中学生)の家庭教師を数年間していた。日本の勉強についていけるようにということで、日本の数学とか国語とか受験英語を教えていたのだが(英語結構ぺらぺらしゃべれる彼にとっても受験英語は必要だった(此れについてはまた書こう)、あと日本の英語教育はアメリカ英語に標準化されているから、イギリス英語のまま答えると間違えになるケースがあるし、面倒なことだ)、途中から何でも教えるよ状態になって、彼がヒーヒーいっていたラテン語やら(グラマースクールレベルだとまだやっているみたい)、イギリスの学校の歴史の授業の宿題とかも手伝ったりしていた。
 最初にそういう宿題を見たとき、僕はちょっと感動した。たまたまそのとき授業でフランス革命をやっていたようなのだが、課されていた宿題は基本的には、トリストラム・ハントが書き、那須さんも指摘している「一次史料への集中、相対立する記述の分析、徹底して掘り下げるエッセイ」を要求するものだったのだ。もちろん、本当の一次史料ではなく、副教材に載せられている短い元の資料の翻訳や単純化されたグラフだった(全部でせいぜいA4で2,3枚程度)。また、課されていたのも「徹底して掘り下げる」というほど厳密なエッセイでもない。しかし、とりあえず一次史料を読み、矛盾する(あるいは当時異なった立場に立っていた人々―農民とか貴族とか―の)情報(意見)を読み、グラフを読み取り、なぜどのようにある事態が起きたのかの解釈を提示することが求められていたのだった。