イギリス総選挙直前 ガーディアンの社説

イギリスの総選挙が金曜日に迫っている。ガーディアンの論調は、イラク戦争の責任は大きいが、保守党に政権を渡すことは考えられない、労働党に投票するべきである、というラインで一貫している。(もちろん、論者が明記される論説 comments においては以前id:flapjack:20041125とその次の日のエントリーで論じたように、論者による多少のずれはある。)

ガーディアンの新聞全体としての今回の選挙についての立場(line)は、5月3日(火)の社説(leader)で明らかにされている。
Once more with feeling
「もう一度、いろいろな思いがありつつ」とでも訳しますか。
 社説としては非常に長い記事である。以下要約するが、要約はとばして、次のエントリーをさきに読んだほうがいいかもしれない。

木曜日の投票はどうするべきか。正直言おう。むずかしい。

この新聞の見解を述べるには、大きな見方を示さかなければならない。
まずイラク。総選挙は一つのトピックについての国民投票ではない。総選挙は最終的には、議会と政府をつくりだす候補者と党についての判断をくだす機会である。しかし、イラクはこのたびの選挙では非常に重要な問題だ。労働党に投票するのをイヤにならせる問題だ。

では、ガーディアンは労働党に反して投票することを勧めるか。こたえは否である。保守党は、イギリスの問題にたいする最悪の答えである。なによりも、いちばんにいえるのは、保守党党首マイケル・ハワードが今回行った、有害かつ軋轢を生じさせる反移民キャンペーンである。この理由によってだけでも、保守党をとめることが不可欠である。しかし、もっと長期的な理由もある。労働党に政権を奪われた1997年以来、保守党は、21世紀のイギリス人に何をさしだすことができるか、いまだに考えられていないからだ。

8年前、労働党が保守党に勝利した1997年の選挙の直前、我々は、「進歩的政治」あるいは「進歩的コンセンサス」を推し進めるにあたって、労働党自由民主党は同じ流れにあると論じた。これは今もそうである。

そこで、自由民主党に投票するべきだという考えにはかなりの説得力がある。なによりも、この新聞がそうしたように、自由民主党イラク戦争に反対したが、それだけではない、自由民主党は、「公正さ、自由libertyとそして法が、安全保障の必要に応じて取引により犠牲に供されるような政治のチェス盤のたんなるコマではなくて、この国の魂とアイデンティティの一部であるということを、労働党にいる多くの人々よりも理解している。

したがって、自由民主党は、政府を形作る真の党として考えられるに十分なほど、選挙において十分に強力で、政治的に首尾一貫し、よく導かれているときが近づいているかもしれない。もしそうなれば、我々はそれを楽しみにまつであろう。しかし、まだそのときは訪れていない。権力の可能性と現実をひるまずに見つめることが自由民主党には必要である。

とはいえ、労働党がそうできているというわけではない。権力の座に満足するようになっており、ブレア氏がイラク戦争に我々を導いたときのやりかたに体現されるような、警戒すべき、受け入れることのできない側面がいくつもある。今後の議会において我々が労働党に求める大きな変化は、政府内における諸権力の分離である。議会の中心性、内閣の重要性、裁判官の独立性、独立性の高い調査および監査の不可欠な役割といったものだ。わが国の体制は、大統領制ではない。

しかし、労働党が権力になれてきていることのメリットもある。これらの年月で、労働王が成し遂げたことの大きさを見逃すことは非常にたやすい。まず、低いインフレ、持続的成長、低失業率という経済的な安定をつくりだした。これらがあってはじめて、あらゆる別のことが可能になるのであり、他の政権ではこれらは危険にさらされることになるだろう。第二に、真の社会正義を可能にする公共サービスに対する投資の必要性についての議論に勝ちつつある。医療サービスの再建、学校への投資にはじめて、若年家族に対するサポートにみられるように、さらに労働党が政策をすすめていく理由がある。主な政党のなかで、労働党の政策がもっとも再分配に熱心であり、それに関してだけいっても支持に値する。

労働党政権下の8年間で悔やむべきことはおおくある。そのなかでも対ヨーロッパ(EU)政策、企業利益を害するかもしれない政策をとることを非常に恐れていること、非常にしばしば強力なブレア=ブラウン関係がときに機能不全を起こすことなどが目立つ。しかし、もっとも目立つのは、首相自身の目に見える変貌、すなわち、社会民主主義的可能性とその才能においてほとんど限界がないかのようにみえた人物から、今や明らかに、そして正しくも政治的有効期限が切れかかり、広くから尊敬をうけなくなっている指導者への変貌である。

ブレアは、今週、労働党を第三期政権にみちびくために再選されるべきである。彼は木曜日に選ばれて、金曜日に首相をおりるべきでもない。しかし、ブレアが第三期の終わりまで、首相の座にとどまることは望まない。ただし、我々は、ブレアを後継すると多くの人が考えているブラウン蔵相に対して、あるいは誰がブレアを後継しようと、その人物に対して無批判でいることはない。

最終的に、選挙は政府と議会を選ぶためのものである。我々は、懸念はあるけれども、どこに自分たちが支持するか明確にしている。我々は、保守党がいかなる敗北を喫しようと、労働党が政府に再選されること、より多くの自由民主党議員が議会にもどってくることを望んでいる。これ以上の保守党議員はいらない。

現在の選挙制度(小選挙制)に問題があることは百年前からかわっていない。将来の「進歩的コンセンサス」のアジェンダには、選挙制度改革がふくまれるべきである。しかし、現状においては、有権者は、労働党が再選され、自由民主党が数をふやすように、頭と心を使うべきである。