雑感

あれ、もう一週間経ってんのか。いやあ、楽しかったです(↓)。しかし、はてな、ずいぶん書いてませんね。以下、リハビリをかねてだらだらと。
 このあいだ、親戚の家においてもらっていた本の箱をひとつあけたら(とても他の箱を開けてみる気にならなかったので、そのまま退散した)、たまたま前にふれたことがある富山太佳夫『ポパイの影に 漱石/フォークナー/文化史』(ISBN:4622045966)がでてきたので、なんとはなしにぱらぱらとめくると「漱石、夜逃げ ヴィクトリア時代の引越し」という文章に。ヴィクトリア時代の小説にあらわれる引越しについての記述を社会史的な史料として読んでみる、そこに当時ロンドンにきていた漱石の引っ越しの話がからむ。そのなかに、こんな一節がある。

もちろん賃貸の対象となるのがすべて家具付きの家屋や部屋ということではないのだが、家具付きの家屋や部屋が多いということは、イギリスの引越しにひとつの大きな特徴を与える。つまり、引越しの記述の中に家具の移動の話がほとんど登場しないということである。人々は身の回りの品のみを持って引越しするのだ。ホームズもワトソン博士も、一人者の元軍曹も、田舎から出てきた新婚の夫婦も。ヴィクトリア時代の引越しを考えるときも、この単純な事実はまず念頭におかねばならない点のひとつである。(131頁)

家具付きの家屋や部屋というのは英語では furnished properties (flats/houses) という。冷蔵庫、洗濯機、ソファー、テーブル、クローゼット、掃除機あたりは確実についているし、デスク、イス、本棚、電子レンジとかがついてるところもふつうにある。だいたい学生で大学の寮ではないところに住む人とか数年で帰る駐在員とかは、そういう furnished のところを借りて住むことがおおい。おれもそうしてた。いうまでもなく、家具等をそろえるお金が必要ないし、動かす手間もないからだ。そんなわけで、富山太佳夫の描くヴィクトリア時代の引っ越しは、賃貸物件に関する限り、いまでもかなりの部分が真実である。
 日本には、こうした家具付き物件はほとんど存在していないわけで、日本にかえってきた僕は、一切合切の家財道具をいきなりすべてそろえねばならなくてはならない。この点ではイギリスが恋しい(笑)。とりあえず、そんなこんなで、電化製品などを見て回ったりしてるのだが、洗濯機とか冷蔵庫とか掃除機とか、やっぱ5年以上も留守するとやたらに進化してますなあ。洗濯乾燥機って最初なんのことやらわからんかった。そういうのがドラム式であるのは分かるんだけど(ヨーロッパ式)、そうじゃなくて洗濯乾燥機ってのはかなりすごい。あと、冷蔵庫の給水自動製氷つうんですか、あれもどういうふうに機能するのかわからなくて、売り場の冷蔵庫の前でしばし考えてしまった。
 あと、電化製品にかぎらずおどろいたのは、ソファーがかなり当たり前のインテリア・アイテムになってきてるらしいこと。それと関連するけど、ソファーもふくめて、インテリアで結構まともなものがかなり安く手に入るようになってること。同じものが7年前とかだと倍以上してたような記憶があるんだけど、ずいぶん価格破壊が進んだみたいでありがたい。