イラク戦争直前のイギリス政府による法のごまかしについて 

23日のガーディアンの一面の大見出しは「Revealed: the rush to war」。ある種のスクープである。といっても、フィリップ・サンドという人の This Lawless World: America and the Making and Breaking of Global Rules (法なき世界:アメリカと世界支配の形成と破壊)(ISBN:0713997923)という本における、イラク戦争前夜をえがいた部分を先取りした話である。
 それがどういう話は以下に示すが、一言で言えば、イギリス政府(特に首相周辺)の法の操作(マニピュレーション)についての告発である。ほんとは、この一面の最初の記事がもっとアグレッシヴかつグラフィックでいいんだけれど、長くなりすぎるので、少し硬いが短く要点がまとまっている「法と戦争」と題された同日の社説(論説ではない)を全文翻訳、引用する(かなり圧縮されてあるので、他の記事も踏まえて意訳+補足した部分がある。強調もflapjack。一部レイアウトも変えている)。

非のうちどころがないとはいえないイラクでの選挙がいまや終わり、一筋縄ではいかないイギリスの選挙がせまってきているなか、労働党は、イラク戦争のもたらした分裂から「前進し/次のことに移っていきたい move on 」とこれまで以上に願っている。しかし、そうしようとしたところで、ブレア政権はイラクについての議論を消し去らせることに成功していない。国際法学者であり勅撰弁護士(QC)であるフィリップ・サンド氏の新著―今日、本誌はその抜粋を掲載するのだが―はその理由をしめしてくれる。サンド氏は、この戦争にいく決定にあたって最も議論をよぶ側面のひとつ―すなわち、法務長官*1が閣僚および軍の長たちに対してあたえた「イラクへの攻撃は法的である」という勧告―について、新たな主張をすると同時にこれまで問われてこなかった問いを投げかけている。もしサンド氏が正しければ、1)法務長官の勧告は、これまで認められていたよりもずっと微妙なものだった(すなわち旗幟を鮮明にしたものではなかった)、そして、2)その勧告の使われ方がこれまでに認められていたよりももっとあやしいものだったことになる。
 法務長官の法的勧告は、戦争開始の決定においてきわめて重要であった。その鍵となる主張は、イラクは国連安保理決議1441号に十二分に従わず、したがって、湾岸戦争後に国際的に課された諸義務/契約の決定的な不履行である、というものだった。法務長官であるゴールドスミス氏の見解によれば、イラク大量破壊兵器をひきつづいて除去していないのは、戦争の法的根拠となりえたのである。この法務長官の見解をA4の紙二枚に要約したものが、(3月17日の)閣議で閣僚たちに示され、その後、議会に対する回答として発表された。翌日、イラクの決定的な契約不履行が武力行使の権威を「復活」させるという、この要約の主張が、以前の戦争に関する国連決議(678号と687号)[と今回の国連決議1441号]との決定的なリンクを提供した(すなわち、これらの国連決議をくみあわせることになった)。この主張に基づいて、国会議員たちは議会において戦争決議への投票を行ったのである。演説のなかで、トニー・ブレア首相はこれ以上明確にはいえないほど明確に述べている。「わたしは、体制・政権変革を戦争正当化の理由としてもちだしたことは決してない」と彼は述べた。「われわれは、国連決議1441号のなかで示されている範囲内で行動しなければならない。それがわれわれの法的根拠だ」と。別のことばでいいかえれば、もし法務長官が「武力の行使は法的にはあやしいものだ (dubious)」と言っていたならば、イギリスはイラクを攻撃できなかっただろうということだ。
 しかし、サンド氏によれば、法務長官はまさしく「武力の行使は法的にはあやしいものだ」と言っていたのである。法務長官が[2004年]3月7日付けで首相にあてて書いた13ページの勧告のなかで―それはこれまで一度も公表されたことがないし、内閣のなかでさえ(全文が)示されたことがない―法務長官ゴールドスミス氏は、国連決議1441号を根拠とした武力の行使は「違法である可能性がある」と明らかに述べていた。したがって、武力行使を正当なものとするには、第二の国連決議を得るほうがはるかに安全であるだろう、と法務長官は勧告していた。軍の長たちは(武力行使が違法であるかもしれない可能性を)あまりに懸念したために、もっとはっきりした言明を求めた。それは、防衛庁職員(defence staff)の長であるボイス氏のことばをつかえば、イギリスの兵たちが(国際法廷にかけられて)「ひき臼のなかをくぐらされるような*2」危険をおかさないようにするためである。軍(army)の長であるマイケル・ジャクソン氏も以下のように述べたと伝えられている。

私は、ミロシェビッチが獄に繋がれるのを確実にするためにバルカン半島でかなりの時間を費やしてきた。(国際裁判所のある)ヘイグで、ミロシェビッチのとなりの房に自分がはいる羽目になるのはまっぴらだ。

結局、軍関係の長たちは望んでいたものを得た。閣僚たちと議員たちに与えられた例の「要約」である。しかし、この「要約」は、ゴールドスミス氏の名においてだされたものの、別の人たちの手によって書かれたものだった。名が挙げられているのは、当時内務省閣僚*3だったフォークナー氏とブレア首相の上級政治補佐官であったモーガン女史である。
 以上は、勧告をめぐる非常に深刻な主張であり、外務省の法務顧問代理(エリザベス・ウィルズハースト女史)は、この勧告(の要約)が「侵略という犯罪」となる武力の不法行使を許すことになったとして(上記の閣議の翌日3月18日に)辞任を願いでた。こうしたことに答えが与えられないままになっているのは許されない。
 したがって以下の三つのことがなされねばならない。
 第一に、政府は、法務長官ゴールドスミス氏の勧告の全文を公表せよ。そのことで、憶測を終結させること。
 第二に、パブリックな *4行政特別調査委員会が、勧告とその様々な用いられ方にについての調査を開始すること。
 第三に、これにかかわったすべての人々が、自分の果たした役割について答えること、である。
 「前進していく/次のことに移っていく move on 」というのはひとつである。しかし、現代のイギリス政府がこれまでになしたなかでもっとも最も後ろ暗い、あやしい決定のひとつについて、国民に対する(public)十分な説明なしに「前進していく/次のことに移っていく」のとは、ぜんぜん別のはなしである。

 興味深いのは、法務長官ゴールドスミス氏だ。明らかに、イラク戦争に対して慎重な立場であり、しかも自分の書いた法に関する勧告を、ブレアとその周辺にいいように「操作」されておきながら、上にあげた一面の最初の記事の最後あたりによれば、「(政治)過程については議論しない」と自らの考えを明らかにしていないのだ。彼自身がこの問題の中心にいるにもかかわらず。このあたりに独特の法律家の矜持を感じる。
 それはともかく、こういうふうに、この社説のあと、この一面の最初の記事か、あるいはこの本の抜粋を読んでみるのを勧める。もっとヴィヴィッドに様子がわかる。(それと同時に、上に訳した社説の抑制した調子との違いがわかるだろう。) 以上のことはいうまでもなく他人事ではない。小泉首相はブレアのいってることを丸呑みしたわけだから。

+付記1+ 
実はある用事があって、南イングランドカンタベリーにきているのだが、夕方、目的の作業が終わったので、ほっとしていったカフェで、あるおじさんが食い入るようにこの記事を読んでいたように見えたのだった。カフェに入るまえにガーディアン買おうとしたけどもう売り切れていたので、かわりにインディペンデント買ったのだが、おじさんの読んでるガーディアンが気になってしかたがない。となりの席にすわって、おじさんが読み終わってそばにあったラックに戻した瞬間(カフェの新聞だったのだ)、おっしゃとつかみつつ「読んでた記事が気になってたんだよ」としゃべりかけたら、「うん、かなり重要な記事に見えたんだけど、実はあんまり目がよくなくって、今細かくはよめなかったんだよ」。というので、そのまんま流し読みしつつ、「政府の法のマニピュレーションの話ですねえ」などとはなす。「そうか、この話は続きが知りたいね。あの戦争、ずっと気になっててねえ。」といいながら、おじさんは別れを告げた。そのまんますぐやってきたカフェの閉店の6時まで続きを読んで、ついでに新聞をもらってきてしまった。しかしうまかったな、アップル・パイ(フレンチ・カフェだったから tarte des pommes)とカフェ・オ・レ。

+付記2+
こうやって訳すと、パブリックを「公」と訳すと訳にならんな、と改めて思う。「公」というと政府のはなしになってしまうのよ、日本では。「パブリック」は、基本的には政府に対する国民というか「人々」の側をさしている。「公共」というのはひとつなんだけど、それはしばしば「政府」を含みこんでいて、それが第一義的には「政府に対する」(as opposed to goverment)概念であるということにもなってない気がする。もちろん英語でも「公共」が政府を含みこむこともあるわけだけど、それはあくまで、公共とか国民とかが政府よりも大きくて、国民(人々)の利益を政府が反映しているとき―あるいは反映しているといいたいとき―に限定される。もちろん政治思想とかの専門家はこんなことはわかっているわけだけど、政治家でこのあたりがわかってない人があきらかにたくさんいる。

+追記+
 落ちていたリンクを追加し、細部を微妙に修正。
 法務長官であるゴールドスミス氏にかんして、上では好意的なコメントを残したが、今日の記事を読んでいて、そのイメージはかわらざるをえなかった(Transcripts show No 10's hand in war legal advice )。この人物は、ある意味ひじょうに小ずるい立ち回りをしたということなのだろう。(もちろん、同じことを政治的にうまい立ち回りをした、という人もいるだろうが。)
 あと今日の社説のひとつ「意見の違い」 Difference of opinionという文章は、ここのところ、女王が式に出席しないとか、そもそも民事婚(宗教的儀式抜きの結婚)は 1836年の Marriage Act という法律に違反しているからダメなのではとか、大騒ぎになっているチャールズ皇太子とカミラ・パーカー=ボウルズの結婚と、上のイラクの件をひっかけている。イラクでのはなしの重要人物、フォークナー上院議員は、チャールズ=カミラの民事婚は可能だという常識にかなう法的見解を明快に出したことをこの社説は前半でほめているのだが、後半ではかえす刀でフォークナー上院議員は「なんでおんなじような明快な説明をイラクに関してはしないの? イラクの件も、この民事婚の件も両方とも法的な勧告という点では同じではないの?」と問いかけている。政治家はイヤだろうねえ、こんな攻められ方したら。
 ちなみに、このイラク戦争についての法的勧告関連は、チャンネル4の夜の7時のニュースで昨日今日とかなり大きく扱われている。保守党も自由民主党の野党両党首も、もとの勧告全文の公表を政府に迫っている。

*1:attorney general:国王により任命され内閣と運命を共にするが閣僚ではない。

*2:辛酸をなめさせるという意味の慣用句だが、あえて直訳

*3:この場合のministerを閣僚と訳すと厳密にはちがうんだけど:内務大臣を補佐し政策立案に関わる議員:政策立案にかかわらないバックベンチャー(平議員と訳されるけどこれもちがうような)の対立語

*4:ここでのpublicは、政府にではなく、国民に対して直接責任を負うという程度の意味だと理解している。政府の見解にかかわりなく公正に(それは中立ではない)調査を行うとされる人が選ばれる。実際、public inquiryというのは権威を認められており、政府に厳しい結果がでることは少なくない。それがどういうふうに具体的になされるのかについては少し調べてみたい。