学会発表における日本とイギリスの違い(文系)

http://hpcgi3.nifty.com/nasukei/d/diaryj.cgi?year=2004&mon=11

大学のゼミでも研究者が集まる学会でも、日本の発表ではレジュメの完成度が重視される。文句を言わせない完璧なレジュメを用意してきてそれをスラスラと「解説」していくというのが学会をサバイヴするための王道だ。

これに対し(ここに以前も書いたが)イギリスの発表ではレジュメは普通配られない。発表者は用意してきた完全原稿(アウトラインや要点の箇条書きではなく最初から最後まで文章化された完成論文だ)をただ「朗読」する。聴衆はメモをとるか、腕を組んで宙を見つめながらじっと聞く。レジュメ中心の日本の発表と違って、こちらはオレーション、つまり弁術の世界。サクセスフルな発表が活字になるという点は日本と同じだが、発表が「話し言葉」上にとどまる所が違う(オングの議論を思い出した)。当然(というべきか)、発表に求められていることの優先順位も違う。日本では物事を上手に、図式的に(問題の構造を視覚化できるように)解説することとが先決。イギリスではその人のオリジナルな考えを説得力をもって伝えることが先決。

 まったくそのとおりだと思う。ある意味ではイギリスのほうが発表の準備が楽(アメリカの学会でも基本的には同じだった)。伝えなければならないアイデアを絞り込んで、それを口頭で伝えようとするとき(たとえ原稿を読んでいるとしても)説得の感触がある。耳で聞いて理解するというのが聞き手の側の当たり前の態度でもあるし。レジュメに頼り過ぎないぶん、ある種の雄弁術(修辞学)の実践という感じで、うまくいくとかなり快感。日本だと、情報のまんべんないカバーというような側面が要求されているので、発表を耳で聞くことの快感が全体としてみると少しすくない気がしてたりする。まあ、それはたぶん僕がイギリスのスタイルに親しみすぎてしまったせいなのだろうが。というわけで、日本で発表するときは、いいところを組み合わせたいものですな。ただ、そのぶん手間がかかるんだけど(特にレジュメ)。
 この日本人のレジュメ好きというのと、前にかいた日本人の図的言語への親しみというのとはつながっているとおもう。とにかく聴覚よりも視覚をつかって理解したい、見たい、あるいは見るように理解したいわけよね。
 逆に、図的言語軽視、修辞学(演説)の伝統、(論旨を記した)レジュメを使わないというのは、聴覚による理解という点で繋がっている。音声中心主義なのだ(ってきちんとデリダを理解したことないので、そこんとこ注意)。

付け足すと、この違いは発表の後に聴衆がする質問の「順番」にもはっきり表れている。日本ではまず事実確認(クラリフィケーション)の質問が先になされ、聴衆が発表の内容をよく理解した上で、方法論や解釈に関する大局的な質問に移っていく。イギリスではちょうど逆。発表者の考えに真っ向から挑戦するようなクリエイティヴな質問が先になされ、事実確認(どちらかというと些末な質問とされる)は後半。「余った時間」にする質問の内容がちょうど逆なのだ。

クラリフィケーションの質問を先にしましょうか、と司会者がふるケースもあるけどね。でも、最初から本質的な質問をぶつけるのが当たり前なのは確か。そういう本質的な質問がでないときに、フォローの意味もこめてクラリフィケーションの質問がでることはよくあるか。

これは文化の違いなのでどちらが正しいなどと言うつもりはないが、大事な話、本質的な話は最後まで居る人にしかできないという日本スタイルが会費の高い「懇親会」につながり、学生には不親切だという話は以前ここに書いた。

同意。


追記:
「最初から最後まで文章化された完成論文」を読み上げるというスタイルに対する違和感が学会のお茶のときとかの会話で表明されるのには何度も出くわした。読まれるためにかかれたものをそのまんま読み上げられてもわからん、多少の詳細を省くことになっても、聞かれること前提した原稿を別に準備するべきだ、というはなしである。たしかに、棒読みされるケースもなくはないのだ。僕個人が「ある種の雄弁術(修辞学)の実践」とかいってるのは、そういう棒読みの立場ではなく、聞かれることを前提とした、しかしぎっちりしたレジュメを準備をしない立場をとってるから、ということではある。こっちのほうが受けがいいし。

 以下の追記を書く前に今日こちらの友人と食事をしてて、ここで書いた話をしてたら、やっぱり彼も「なんでレジュメで一番議論の重要な部分を漏らしたいわけ? Why do you want to give out the most important point of your discussion in the handout?」「参考資料を配るのはありというか必要だけど」という反応で、ま、こっちの学者はそう思うよな。そういうわけで日本での慣行のそれなりに合理的な点に関して説明したりして。