universalityについての文系の人の緩い雑感

bewaadさんがサジェストしてくれたブログの関係する部分

しかし、ぼくは数学が科学にバインドされるかもしれないと思っている。これはきわめて危険思想であることを自覚しているので、blogレベルでしか書けない。問題はuniversalityとobjectivityを我々がいままで区別していないことによって生じているのではないだろうか。そして、universality->subjectivity->objectivityと、現象学的視点によって二つの概念を分離することによって、数学がobjectivityの領域であり、物理法則がuniversalityの領域であると考えられるのではないだろうか。認知として数学を見る(数学者の脳を見る)ということはそういうことであり、われわれはobjectivityを通してuniversalityを探求するのだ。

つまり    universality->subjectivity->objectivity
         物理法則          数学
認知的には universality<-subjectivity<-objectivity という方向。

subjectivityがなんであいだにはさまっているのか、よくわかんないけど。。。

bewaadさんのコメント(id:flapjack:20040923#c)

この考えを敷衍すると、経済学においては、objectivityの追求に力が注がれ、universalityには関心が向かなかったということになるのでしょうか。

そういいたくなりますよね。つまりドラさんがいう「特定のスペシフィケーションの研究が経済学であるということになってしまった」という部分がobjectivityにあたると考えれば。

以下が、僕の緩い雑感。universalityを目指すというのはいわば野心みたいなもので、それがなくても論文を書く産業としての学問はまわっていってしまう。それでいいとひらきなおるのもありだけれど、それだけだと1)やっぱりおもしろくないし、2)それは科学の本義ではないだろうというのが、universalityという考えの一部ではあるのだと思います(薄めすぎだとおこられそう)。で、僕的には2)よりも1)のほうが優先するんだな。