「モーターサイクル・ダイアリーズ」

 別にネタバレという映画ではないですが、この映画の最後あたりのシーンに触れているので、気になるようでしたら以下は読まないで下さい。

 昨日近所の映画館で見る。この映画については、まずapoさんによる「若き日のゲバラにノックアウト」(id:MANGAMEGAMONDO:20040826)を読んでいただきたい。ゲバラを演じているガエル・ガルシア・ベルナルがかっこいいのはいうまでもないんだが、一緒に旅をするアルベルト役をやってるロドリゴ・デ・ラ・セルナがいい味だしてるんだな。
 それはともかく、apoさんも書いているように、この映画はゲバラが革命家チェ・ゲバラになる、その部分を描かれていない。それを描くためには、この映画の続編が必要だろうだけど、そういう続編になる部分の映画をとらないで、その手前の、彼が身を浸した旅を題材にしたところがうまいんだな。革命家にならなかったゲバラの未来だって、この映画が終わる時点ではまだあった感じがする。
 この映画を見たあと、彼が革命家になったのは時代なんだろうなあと思う。あの時代にゲバラがうまれていなければ、同じような旅をしたとしても「革命家」にはならなかった気がするのだ。あの当時の現実を、(中産階級のボンボンであるゲバラの)視線と当時の共産主義思想とが共振しつつ、ゲバラの考えは急進化していく。
 この映画で描かれるゲバラの現実に対する共感的視線はいまでも多くの人が共有できるもの(つまり今でもある程度普遍的である)だろうが、彼が旅で触れる現実と読書によって導かれ結晶化していく共産主義思想は、普遍的なものであるというよりも時代的なものであるように見える。それは、映画の最後あたりで描かれる、ハンセン病療養所でのお別れパーティーでのゲバラがするあいさつの最後で、唐突にも彼の政治的意見を述べるときに露になる。僕は彼の述べたことにある種の違和感に襲われたし、たぶんそういう人はほかにも結構いるんではないかと思う。この映画は、このパーティーに集うハンセン病療養所職員たちも、そういう違和感を感じたことを描いている。
 しかし、このように結晶化された共産主義思想は、ゲバラのような当時のインテリたちにとって、普遍的なもの(そして解放のための真実)と思われ、人々に「教宣」するべき考えだと思われたのだ。そういうふうに考える道筋はこの映画で(雰囲気としてだけだが)描かれているようにわからなくはないのだが、しかし僕にはいかんせん抽象的に思えてしまう。しかし、こうした結晶化した思想の流通がなかったならば(もちろん思想はその流通のためには結晶化していなければならないのだが)、ゲバラは、革命家(あるいは今風には「テロリスト」)にならず、ハンセン氏病の専門家(彼がこの旅のなかで出会うような人の感じの)になっていたかもしれない。
 いずれにせよ、経験(と読書)から自分の考えを知らず知らずにすら結晶化していくという過程を人は避けられない。そんな道を行ったりきたり、思い出してみたり。と、抽象的なことを書く。