自衛隊に対するサポート

2月3日付のエントリーで「自衛隊に対するサポート」について触れた。しかし、それはどのようなものであるかを具体的に説明できていなかったので、もう少し展開することにする。

職業軍人」というのは、命令されれば戦地に赴き、任務遂行にあたって死ぬこともありうるということを承知しているものである。それが彼らにとってのプロフェッショナリズムなのである。もちろん、命を落とすようなことがないように最大限の配慮がなされねばならない。しかし、任務の遂行において軍人が死んではならないということをなによりも重要であるかのごとく言うことは、軍人に対するサポートでは必ずしもない。むしろ、軍人のプロフェッショナリズムに対する侮辱ですらありうる。

したがって軍人が死んでもかまわない、ということではもちろんない。しかし、彼らが自らの死の危険をも承知したうえでプロフェッショナリズムを貫こうとしているのであれば、彼らがそのために死んだとしても彼らと彼らの家族が浮かばれるという大義を、送る側は与える道義的責任がある。

「軍人に対するサポート」とは、そのような責任を、軍を送る側−すなわち政府(首相と防衛長長官を代表とする)−が果たしているかをきちんと見届けることである。それは、個人であろうが、メディアであろうが変わらない。メディアが、特に朝日新聞のような大きな影響力をもつメディアが、政府に対して政府が責任を果たしているかどうかをきちんとチェックすることも「軍人に対するサポート」である。政府と同様に、メディアがその責をはたしているかどうかを個人がチェックすることも「軍人に対するサポート」である。

以上がとりあえず僕がイギリスにおいて得た、軍隊を送ることに対しての感覚である。そして以上の点に関して僕は基本的にこの感覚を共有することができる。*1

僕は以上のような考えを、自衛隊員に当てはめることは可能だと思うし、上に述べたような意味で、自衛隊員をサポートしたいと考える。

*1:もちろん、イギリス人の軍隊に関する感覚すべてに共感することはできない。たとえば、今回のイラク戦争がはじまるまでは半数以上が戦争反対であったにもかかわらず、戦争が開始するやいなや、our boysががんばっているのだから、というような理由で3分の2が突然戦争を支援するようなことが起こるのには少しついていきかねる。ただ、戦争には反対なのだが、はじまった以上ははやく終わってほしい、そのためにはとにかく早く勝ってほしい、というような人もかなりいたようである。