再追記

28日に出たハットン・レポートだが、非常に期待はずれのものだった。主な内容は、http://atfox.hp.infoseek.co.jp/xfile/iraq/kerry2.htmですでに纏められている。他には
http://www1.jca.apc.org/aml/200309/35680.html
http://www.janjan.jp/media/0401/040113200/1.php
を参照。

期待はずれである理由は、レポートがほぼ完全に政府側の言い分を認め、BBCを一方的に批判する内容であったからである。
BBCのToday(BBC Radio Fourの朝の看板ニュース番組)の防衛庁担当記者アンドリュー・ギリガンのレポートそのものに問題があったことは確かであるし、また、Todayのエディターがギリガンの述べた内容を事前にチェックしていなかったという意味で、BBCニュースの編集体制には欠陥があった(defective)ことも確かだろう。また、ギリガンのレポートを適切な調査を行わないまま支持した(そして政府側に対して対決姿勢をとった)BBCのトップにも問題があったということもそのとおりだろう。
しかしながら、BBCに向けられたと同じだけの批判的検討が政府側の対応に向けられていない点が期待はずれなのである。政府側には、ギリガンの情報源であるかもしれないと防衛庁内で名乗り出たディヴィッド・ケリー博士を十分に保護しようとせず、それが彼の自殺につながった(そもそも「ケリー博士の自殺にかかわる事実の解明」がこのインクワイアリーの目的である)という疑いが掛けられていたが、これをハットン卿は認めなかった。またハットン卿は、『イラク大量破壊兵器疑惑に関する調査』に関する政府の文書の問題ついては、情報の信頼性の評価は自分の仕事ではないとし、さらに情報部局内に、自分たちの収集した情報が正確に反映されていない(すなわち誇張された)という不満が、45分クレームを含めた最終的政府側発表に対して実際存在していたことを示す証言などを無視した。彼は以下のように述べるに留まっている。

首相がこの文書を情報との一貫性を保ちながら、サダム・フセイン大量破壊兵器の脅威について、できるだけ強い文言にしたいという気持ちがありました。それが知らず知らずのうちに、スカーレット委員長や他の委員会のメンバーに絶えず影響を及ぼし、文章の内容が委員会の通常の評価よりは”多少”強いものになった可能性があります。その可能性を完全に否定することはできません。

ハットン卿が政府に対して甘かった理由として、もし政府側に厳しくあたるならば、それによって首相の首が飛ぶという帰結が十分にありえたということがある。すなわち、自分が一つの政府のクビを切るという役になることをハットン卿が避けたい(避けたかった)だろうという、少し前から一部で表明されていた見方である。

いずれにせよ、このレポートが公式に発表され、その要約をハットン卿自身が読み上げた直後に、議会で首相と野党党首の間で質疑応答がなされたが、ブレア首相はいうまでもなく嫌疑を晴らされ意気揚揚としていた。しかし、保守党党首マイケル・ハワードが指摘するまでもなく、なぜ45分クレームが誤りであったことは間違いがない。なぜそうなったのかという別の調査が必要だという自由党党首のチャールズ・ケネディのいうことは正しいが、そのような調査がなされることはないだろう。
(このケリー博士騒動によってこの問題にメディアの注意が集中しなかったことを覚える必要がある。実際、この真に重要な問題から注意をそらせるために、当時の首相官邸におけるメディア担当のアリスター・キャンベルがわざと大きな問題にしたという見方もある。彼が、ギリガンのレポートを受けて、チャンネル4の7時のニュースに飛び入りしてBBCに対する批判をぶち上げたのが、事をこれだけ大きくしたそもそもの発端である)。

ブレアは彼の首相任期中最も難しいと思われた週を切り抜けたことになる。一方、ハットン・レポートでこれだけ批判されてしまった以上、BBCの理事の一人ギャビン・デービスと、さらに、BBCのトップであるグレッグ・ダイクが相次いで辞任せざるをえなかった。(グレッグ・ダイクの手腕は非常に高く評価されている。ここ数年BBCの番組がおもしろくなったと評価されているのは、彼のダイレクションによるところが大きいといわれる。そういう意味では彼の辞任は非常に残念である)。

延々ここまで、ハットン・レポートについて書いてきたのは、BBCの一般姿勢について、また、BBC自体が以上のBBC関連のニュースをどのように報道しているか、ということについて書きたかったためなのであるが、それはまた後日ということで。

(イギリスについてほんとうに意味があることを書こうとすると、そこにいきつくまでに力尽きてしまうということが自分にはおきがちだ。でもそれをはぶいてなにか書いても、非常に一面的な書き方にしかならない(上で引いたジャンジャンの記事もそういう意味ではちょっと一面的である)。少し困る。)