公共言説空間の構造の問題

id:kmiura:20031210とid:sivadさんにいただいたコメントに対して。

id:kmiura:20031210#p1でクリッピングされてましたが、結局「明らかに日本では憲法よりも国際条約のほうが優先する国家である」ということなんでしょうね。それが完全に明白になった。それはkmiuraさんの言葉を借りれば、「非線形力学とかカオス理論でいう「分枝」の大きな分岐点をすぎた」ということでしょう。

それは容易なことではかわっていかないでしょう。けれども、法を大事にするという原則をなくすると、議論は積みあがらないままです。

なによりもそれがもたらす息苦しさが嫌だ。結局、何をいってもどうにもならないだろう、という日本のニヒリズムを僕は嫌悪する。再び、kmiuraさんの言葉を借りれば、ネット上にみられる「当事者感覚の喪失ぶり」、川上直子「セカンド・カップ」ダイアリーが

ってかなんてか、昨日今日なんか、すべての言論が自衛隊関係でも全然おかしくないほど大事な話だというのに、一体どうして知恵ある人びとの興味関心は今日も日常なのだ? 私としてはこれを記憶しておきたい。

というところの事情は、公共言説空間に対する日本人の絶望が底にあるのではないか、と、住んでいるイギリスと日本の状況をみながら僕は考えています。

イギリスでも結局のところブレアはブッシュをサポートした。その意味で、小泉とまったく同じです。にもかかわらず、イギリスには、「何をいってもどうにもならないだろう、というニヒリズム」は存在しない。それはなにか、ということを僕はここのところずっと考えてきました(id:flapjack:20031023とか、id:flapjack:20031031#p1など)。

それについていまのところ、僕は、公共言説空間の構造の問題なのではないかと考えているのです。あんな首相の記者会見にまともに質問もできないメディア、法感覚の欠如というのは同じことの別の側面ではないかと。

少なくともそういうことはイギリスには存在しない。そして、それは、もちろんイラクという現状に対しては自己満足にしか働かないということかもしれないが、にもかかわらず、ヘルシーではある。政府を通じてでなく、民間のチャリティーを通じてのコミットというやり方も存在する。僕は、イギリス社会のこの側面に限っては、とてもうらやましいと思う。

僕は今回の自衛隊派遣の件がどうであれ、議論が積みあがる、そしてそれを突きつけていけるような土台をつくろうとするべきだと思います。