追加

id:kmiuraさん(id:kmiura:20031104)からの反応。

こうした個人的な印象の導出過程は言語によらず一定の結論に到達するように思う。しかし、コミュニケーションの効率と精度には言語依存性がある。このことで複数の人間の議論の場合は言語依存的に結論がかわってしまうことがあると思う。

しかし私の知る限り、日本語はそれほど精度の悪いものではない、と思う。

認識を同じくする。ただ重要なことはこれが結論ということではなくて、これが出発点ということだ。

日本語そのものの性能は高いにもかかわらず、そして精度の高い日本語は局所に存在していても、それがすべての人にとってのスタンダードになっていない、ということが問題に思えるということなのだ。片岡義男をまだぜんぜん読み終わっていないのだが、彼のいいたいこともそういうことなのだと思う。

そして、こうした認識自体がもっと共有されるべきではないか、と(くどくなってきている気がするが)僕は思うのだ。