「新聞とTVの切り離し」という考え

上のエントリーは開票が始まる前に書いておけ、と思って上げといたんだけど、まあ、都市の有権者は見事に自民党にいってるなあ。
 とりあえず、以下をコピペ。武田徹のオンライン日記(9月11日(日)22時14分7秒)より。

これは、改めて言うまでもないけれど、自民党すら無党派層とかなりの部分重なる都市型保守頼みとなった状況で、メディアと言論人の責任はこれから実に重くなる。民意を汲んで支持を手放すことなしに、いかに民意と距離を持って、自省を促す視点を提供出来るか。極論だけど新聞は、もう本気でTVは切り離しちゃったほうがいいのではないか。経営を重視して作ってきたシステムが、小泉的な政治家の手法にあっけなく踊らされてしまうのであれば、経営を取るか、ジャーナリズムを取るかという、もはや殆ど考えることもなくなっていただろう青臭い選択肢が、実は今こそ改めて極めて重要になっていることに気づくべきではないか。政治力で業界再編を受け入れた過去を捨ててジャーナリズムの側からの業界再々編を、というのも単なる思考実験を越えて、検討の余地があるのではないか。

ここでは結構、新聞とテレビを一緒くたにマスコミ(ゴミ)として書いてきたけど、テレビと新聞ってやはりずいぶん違うところがある。そこんところはもう少し考えていきたいけど、とりあえずメモっとこ。