カズオ・イシグロ

 なんかちょっと議論できるあたまではなくて、ぼんやりなにかを読むしかできない。そんなわけで、土曜日の昼にカフェでお茶しつつガーディアンの土曜版を読む。それはそれで至福のひとときなんだけど、読むのってあたまつかわんからな。
 しかし、今日のは非常に面白かった。本誌ではスラヴォイ・ジジェク論説を書いてたし、レビュー(40ページぐらいある書評紙)では、リチャード・ドーキンスエッセイも載ってて、それもまあそこそこおもしろかったんだけど、個人的ヒットとしては、今日のレビューの表紙になっていたカズオ・イシグロプロファイルというページだった(アエラの「現代の肖像」が近いといえば近い)。ものすごく詳しいというわけではないけれど、生い立ちがよくわかっておもしろかった。
 5歳まで長崎で育って(おかあさんは18歳のときに長崎で被爆している)、海洋学者だったおとうさんのしずお(漢字わからん)が2年間の研究プロジェクトのせいで、家族でロンドンの南のギルドフォードにやってきた。おとうさんはふつうのサラリーマンではなかったし、ある時点で日本にかえるだろうと思ってたから、ぜんぜん移民のメンタリティーをもってなかった。そんなわけで、親戚がおくってくる日本の教材で子供たちは帰国にそなえていたのだけれど、カズオが15歳のときに、おとうさんが東京での大学の職があるのをことわった。そのときが家族がイギリスに永住することの最終的決断になったという。ご両親はいまも同じギルドフォードに住んでるらしい。とはいっても「かれらは、いまだに自分たちのことを日本人だとおもってて、まだ《イギリス人 the English》について議論するのを面白がっている」という(別にオレは永住しないけど、永住することになったらおんなじだろうなあ、と思う。)
 カズオは地元のグラマー・スクールに入った。ということはミドル・クラスの学校に入ったというわけだ。面接で受かったわけだけど、それは「入学試験をしくじったミドルクラスの子供を入れるためのシステムだったと思う」。学校ではやはりみんな日本人のなまえは呼ぶのが難しかったらしく、イシグロ(Ishiguro)ってのがイシュ・ダ・ウォグ(Ish da wog)になって、それがイシュダー(Ishdar)になって、今ではみんなイッシュ(Ish)とかイッシィー(Ishy)と呼ぶらしい。こういう名前は別に悪い意味だったわけでもなく、いじめもなかったという。(今とは「だいぶん違った雰囲気だった」。)イシグロ家は毎週教会にいってて(active churchgoers)、カズオものちに少年聖歌隊長になった。とはいえ、戦争の後たった15年しかたっていなかったのに寛大にむかえられたことにいまだに驚いているそうだ。まあ、教会にいってたのはでかいよな(長崎という土地柄も関係しているだろう)。作家になるまえにはソーシャル・ワーカーとして働いてて、小説を書こうとかおもってなかったのが Margaret Drabble という作家の Jerusalem the Golden という小説を読んで小説を書こうと思った。イギリス人の奥さんも元同僚らしい。イギリスに帰化した事情についてはこう書かれている。

When Ishiguro was included as the youngest member of the 1983 best of young British writers, he wasn't a British citizen. He took citizenship later that year as a very practical decision. "I couldn't speak Japanese very well, passport regulations were changing, I felt British and my future was in Britain. And it would also make me eligible for literary awards. But I still think I'm regarded as one of their own in Japan."

というわけで、続いて村上春樹のコメントが載っている。

Japanese novelist Haruki Murakami agrees that Ishiguro is admired and widely read in Japan. "Partly it's because they are great books, but also because we find a particular kind of sincere and tender quality in his fiction, which happens to be familiar and natural to us." That said, Murakami doesn't care if Ishiguro is Japanese, English, "or even a Martian author", noting that his depiction of Japanese people and scenery is "slightly different" from the reality, while his "very English" setting of The Remains of the Day is familiar to Japanese readers. "In other words, the place could be anywhere, the character could be anybody and the time could be any time. Everything supposed to be real could be unreal, and vice versa. It is a sensation I love and I only receive it when I read his books."

そうなのか。それはともかく、先々週のこのプロファイルの項では大江健三郎扱われている*1 村上春樹もこうしてでてきたり、あるいは頻繁に言及されたりして、日系作家少し目立ってます。まあ、村上春樹は、たんじゅんに最近『海辺のカフカ』の英語版がでたばかりというのがあるし、今回のカズオ・イシグロも新作がでるところということもあるだけなんだけど。プロファイルの次のページには、3月3日に発売という新作Never Let Me Goの抜粋が載ってる。というわけで、興味のある方はどうぞ。

+追記+
上の村上春樹のコメントだけど、In other words以下の部分はカズオ・イシグロを読んでないからなんともいえないけど、前半の一部についてはかなりうまい日本人読者の説明になっていると思う。イギリス人で『日の残り』は日本人には異質でわかりづらいだろう(alien)と思う人は結構いるだろうけど、そんなことないよ、とそれに対するカウンターを放っているし、ついでにカズオ・イシグロの描く日本人が現実と風景とは「少し違っている」ことも指摘しているし。この手のコメントをたのまれて出していくというところに、村上春樹、営業してるな、と感じる。それはいいことだと思う。

*1:しかし、先々週のレビューで取り上げられているアフリカにおける1950年代のイギリスの所業について扱った二冊の本の書評を先週読んでたのだけど、むちゃくちゃひどいですな。最近になってようやくここらへんが本になって、実情が知られるようになってきたけれど、これがテレビとかで扱われるようになるのにどれくらいかかるだろうか。