抽象的発言

葉柳和則さんの「常識破りをめぐる常識」を読んで思う。研究者になるつもりがない学生が大学で学問をやることの意義(あるいはそういう学生に学問を教えるというのは)って、葉柳さんがいう「トレーニング」を受ける(施す)ことではないかなあ、とおもうんだけどな。いや、別に「常識の自明性を疑う」ことそれ自体が目的というのではない(そう葉柳さんがいっているわけでもない)。ほんとに「考える」と常識が違って見えるということだ。「考える」ことのトレーニングをする場が大学ということだ。抽象的すぎる? そういうのは「実学」ではない? そーですか。いや、あたりまえのことですか。そうだったらいいんですが、ほんとにそうなんですか。