社会の流動性について(続き)

 id:flapjack:20040627のコメント欄で書いたことをもう少し丁寧に(といっても粗いけど)書いてみたいと思う。見当はずれにことを言ってなければいいけれど。
 ガーディアンとかタイムズとかのイギリスのクオリティー・ペーパーを出す新聞社が新卒ばかり採るかというとそんなことは絶対無いだろうと思う。普通は、地方の新聞社に入社して、そこで経験を積んで能力を磨き、他の新聞社に引き抜かれたり、あるいは自分の能力を証明しつつ、自社ないし他社(例えばクオリティー・ペーパーへと)よい記者が少しずつ上級の(しかし管理職ではない)記者としての地位に移動していくことになると思う。複数間の新聞社のあいだでオープンな労働マーケットが存在することによってある程度、イギリスのメディアの健全性が保たれているのではないか、と思う。*1
 そういう流動性は、たとえば日本の新聞社にはあるのだろうか。地方紙の記者が全国紙に引き抜かれ、ということもないわけではないと思うが、そういう新聞社間での流動性はどれほど高いのだろうか。どうかんがえてもそれほど高いとは思えない(ここらへんどなたかご教示いただけるとありがたい)。
 うがやさんの描く朝日新聞社では、新卒で入社した人達がどう考えても大多数で、それで40才までは安い月給でがまんがまんで、そこを過ぎるといきなり給料ががんがん上がっていくということになっているのだそうだ。で、うがやさんの話には、朝日新聞につとめる人達のなかでそういう他社へ移動するというような可能性が考えられているようなふしは全く見られない。ともかく、長時間労働やあちこちへの(突然の)転勤などをガマンして、40を越え、給料が上がりだすのを待つのだ。そうなったらあとは緩むだけだろう。緩まないほうが不思議だ。そういう人たちはガマンしたということだけが取り柄だから、「流動化」なんてとんでもないことだ。ここまでガマンした意味がなくなってしまう。そういうところみたいなのだ。
 長時間労働だろうが終身雇用だろうが給料が40すぎてから急にあがろうが、きちんとした質の報道さえしてくれれば別に文句はないんだけれども、往々にしてそうでないから困ってしまうのだ。で、そうでない大きな理由の一つとして、こうした新聞社間での人の流動性(の欠如)があるのではないかと思う。
 というのは、朝日新聞社的組織のなかでは、本来の仕事がどこまでよく遂行されるかとか、どのようなポジティブな成果がでるのかということが(必ずではないだろうし、良質な人がいることも確かみたいだが)二次的になってしまい、極端にいえば、定年(あるいはそれに近い時点)まで同じ顔の連中でどれだけうまく一緒にやっていくか(それまでどれだけガマンしてやりすごせるか)ということのほうが重要になってしまうからだ。
 流動性が少なくとも現状よりも相当高くなって初めて、本来のパフォーマンスが高まりうるセクションというのは日本には朝日新聞社のようなメディアだけでなくほかにもあるのではないか、と僕は思う。波風をたててはならないとか、とにかく大過なく引退できるまでとか、そういう要素はもちろんある程度はどこでもあるだろうし、それが組織の安定要素だったりもすると思うけど、あまりにドミナントになって本末転倒になっているセクションが結構あるのではないか。裏金作りの実態が、覚悟をした数人のOBたちの証言によってようやく明らかになってきた警察(警察官)とか、他の業種の人がほとんど入ってこない小・中・高の学校(教員)とかね(大学は少し違うけど、でもまあ同じかな)。官僚も、外部との人事の流動性とかどうなのかな。昔よりはあるのかな。

*1:まあイギリスには、タブロイド紙というまたものすごく下劣な側面もあるんだけれどもとりあえずそれは措いておく。