クリエーターの危機感(個人的なバイアスの告白)

もう上げるのやめようか、と思った文章なんだが、もういいや、となげやりに上げる。

町山智浩さんの猫パンク(id:TomoMachi:20040526)と回転ドア一つで家が買える(id:TomoMachi:20040528)という文章のそれぞれに対して、id:svnseedsさんが5/27日のエントリー6/4日のエントリーで批判している(id:svnseedsさんの後者の文章は、直接には「回転ドア」の文を受けたid:kmiuraさんの文章(id:kmiura:20040604#p1)に対してのものだが)。

僕自身もid:svnseedsさんの5/27日のエントリーのコメント欄で、一言だけコメントをしたのだが、その後応答できずそのままになっていた(しかし、思うんだけど、みんななんであんなにはやくコメントを書けるんだろうか)。僕は、町山さんの文章は全体としてみると、ちょっと行き過ぎだなあと思うし、id:svnseedsさんの考えも正しいと思うんだけど、でもsvnseedsさんの町山批判にちょっとひっかかってしまう。例えば、

何かを作っている人と、それを流通している人、どっちもこの世界に貢献しているんだよ。流通している人達がいなくなったらどうなるか、ちょっとでも考えてみたらいい。ネットだろうかリアルだろうが関係ないでしょ。昔からこんなの関係ないんだよ。金貸しを迫害する原理主義者と根っこは同じだよ。(id:svnseeds:20040604)

というとき、svnseedsさんは、批判している当の町山さんと同じレベルの、ものすごく一般的なレベルで応酬しているように見えてしまうのだ。いや、まさにそれが狙いなのかもしれないけど。

僕は、どっちかといったら、5/27日のコメント欄におけるid:sujakuさんの意見に同意する。以下引用。

いや、むろんsvnseedsの意見は正論だとおもうけれど、それを町山批判に落としてしまうのは、svnseeds らしくないのでは? ●むしろ、印税率が欧米では自由に設定できるが日本ではほぼ一律だったり、ブロードウェイのミュージカルが企画段階で債券発行みたいになってるらしいとか(儲かるか損するか)、はたまたコンテンポラリー・アートすら投機の対象になっていて、株式市場や為替レートと(ある意味では)平行しているとか、svnseeds にはそういう視点と摺り合わせて、ソフト生産の現在、というような問題を論じてほしいんだけれど。●他方、税制をどう見るか? :日本の税制はカイシャ員のカネ持ちをつくらず、中小企業の社長だけをカネ持ちにしてきた・・・というような問題をどう見るか、とかね。(以下略)

つまり、もっと具体的なレベルに落とすと、町山さんが批判するような状況というのは、やはりあるのではないか、という感じがしていたのだ(id:kmiuraさんの言い方も町山さんと同じように抽象的であるのだが、そういう感じを共有しているように思う)。
 そういうところに、仲俣暁生さんの「固定ビジネス」とエンタテインメント産業(id:solar:20040602#p1)という文章が上がって、「そうそう、こういうことが本当の問題なんだよなあ」と思った(というわけで、是非この仲俣さんの文章は読んでほしい。まあここを読んでる人は、だいたい読んでるか)。
 それから、高橋健太郎さんが、著作権法改正案の決議後に記した文章の一部id:face_urbansoul:20040603経由)。

 さて、終ったからといって、投げ出してはいけないこともあります。 今日の議事録だって問題発言だらけです。著しい不利益があるかないか を判別するにあたって、著作隣接権料と 著作権料を合算で考える? 文化庁の役人はこんなことまで 言い放ったのですから。 著作隣接権料である原盤ライセンス 印税と著作権料である作詩作曲印税では、前者の方がはるか に額が大きいので、著しい不利益があるかないかを合算で考 えてしまったら、判断は著作隣接権料に大小の方に大きく 左右されます。つまり、レコード会社の都合が優先される ということです。やっぱり、アーティストなど守るつもりが ないことがハッキリしました。

あとは、契約書もしくは陳述書を税関に提出させる、とかいう 訳の分からないことも言っていましたね。そのへん、議事録を 全部チャックしないと。質問主意者や我々の公開質問書への 回答も全部、再チェックだ。闘いはこれから。選択肢を守れるかどうかは、これからの7カ月間で決まるのです。

 学者はある種のクリエイターであって、そういう意味で、id:kmiuraさんとか僕は、同じく書き手の立場から単純化してアジる町山さんになんとなく理解を示してしまうのかもしれない。そして、繰り返すけれども、id:svnseedsさんがいうことは一般的なレベルでは正しい。
 なんだけれども、クリエイターの状況が今後ますます厳しくなっていくであろうことは確かに思える(上の年代はともかくとして今の若手の学者の世界はすでにかなり過酷だ)。
 重要なことは、「流通している人達」(あるいは、仲俣さんのところの言葉を使えば「固定ビジネス」の人達)を単純に批判したりあるいは擁護したりすることではなく、ますます不利な立場におかれていくクリエイターの状況についてもう少し一般に理解がひろがっていくこと、そして、もう少しクリエイターのことも考えた上で、「固定ビジネス」あるいは「流通」がなされないだろうか、というようなことなのだ、と思うのだが。