id:Bonvoyage:20040517#p2の議論から、id:Ririka:20040527#p1に跳んで、そこでのid:Ririkaさんが内田樹氏の書き方について書いたことに、そこのコメント欄で、僕は、ちょっとアンフェアでは?と書いたわけですが、もう少し説明しろとのこと。というわけで、ちょっとやってみます。
 僕は、「みんな」という言葉使い一般について議論しているのではなくて、id:Bonvoyageさんがいう

「みんな我慢してやってんねんぞ!」と大学の教官が私に向かって口にしたとき

の場合に即して考えている。
 こういった場合における「みんな」という言葉づかいの問題点は、以下の3つの条件が重なっていることだと思う。
1)「みんな」というレトリックを使って、相手(この例ではid:Bonvoyageさん)を「少数者」化し、それにより相手を無力化しようとすること。
2)「みんな」を持ち出す人(この場合では大学の教官)が、自分の主張の正しさを自分が多数派であること(それが事実であるかはどうかは別にして)に根拠づけていること。
3)「みんな」を持ち出す人が往々にしてその場における権力者であること。
 内田樹氏についてのid:Ririkaさんのコメントがアンフェアに思えると僕が考えた理由をこの3点のそれぞれに即して書いてみたい。
 1)に関して。Ririkaさんのところで書いたことを繰り返すが、内田氏が「そういうことをいっている人が少ない」というとき、「もっと自分がいっているようなことを考える人が増えるべきだ」の裏返しの言い方(すなわち控えめなプロパガンダ)である。このとき、内田氏は、自分を少数者と位置づけ、そのことにより多数者を増やす「数の政治」を試みている(それがいかに控えめになされているとはいえ)。

つまり、自分の立場を保証する方法として、仮想的に、「みんな」という多数派を味方につけるか、「きわめて少ない」と少数であることに依拠するか、頼ろうとしている前提は同じ。主張が正しいかどうかとは無関係です。

と書くとき、Ririkaさんは、内田氏のやり方を1)と(「数の政治」に訴えている点で)同じだと見なしているように思える。こうした考え方は理解できなくはない(が完全には同意しない:理由については後述)。
 しかし、本当に重要なのは、2)のほうであると僕は考える。内田氏は、自分の意見の正しさを自分が少数派であることに依拠している(自分は少数者であるから自分は正しいとしている)とは僕には読めない(Ririkaさんの例文を引いてきている元の文章全体(例文にリンクされている)を参照)。彼は、自分が、少数派であるかどうかにかかわらず、正しいことを言っているつもりだろう(単に彼の認識が間違えていることは当然ありうる)。彼は「自分を少数者と位置づけている」が、それは、自分の主張の正しさを少数者であることに依拠していることとは区別されねばならない。
 この点において、件の「大学の教官」は、自分の主張の正しさを、自分が多数派(少数派でもいいが、この場合は多数派)であることに根拠づけているわけであり、この点2)に関して、この「大学の教官」と内田氏を同列に並べることはできない。
 さらに(論理的にはマイナーな点に思われるかもしれないが、実際上非常に重要な点として)、件の「大学の教官」が相手(Bonvoyageさん)に対して権力者であるという点3)も、内田氏と彼のサイトの読者との関係に照らして比較するのに適当ではないと考える。
 以上が、Ririkaさんのコメントが内田氏に対してアンフェアであると書いた理由である。
 さて、「数の政治」についてだが、僕は人間社会において「数の政治」を否定することはできないと考える。確かに、Ririkaさんがいうように、その主張を支持する者の数が多い、あるいは少ないことは、その主張の正しさとなんの関係もない。しかし、だからといって、実際上、物事が動くときには、数の多少はしばしば決定的に重要である。本当に重要な「正しいこと」であるならば、そしてそれが多くの人々にとって関係があることであるならば、その「正しいこと」を多くの人に伝えようとすることは当然のことだろう。重要なことは、支持者を増やすという「数の政治」に訴えるにあたっては、「主張の正しさ」によって支持者が増えるようにおこなわねばならないということだ。
 さて、内田氏は、上に書いたように、「そういうことをいっている人が少ない」というとき、もっと自分がいっているようなことを考える人が増えるべきだ」という、控えめなプロパガンダをおこなっている。これは、「主張の正しさ」に則っての「数の政治」ではない。この点が、id:Ririkaさんの言いたかったことだろう。それは了解できる。しかし、常に正しさが証明できるようでなければダメなのか(原則を常に守らないといけないのか)というとそういうもんでもないだろう、と思う。そんなの息苦しくてかなわん。そこまで「レトリック」を排斥せんでもいいだろ。
 だから、id:Ririkaさんが言うことには原則賛成であり内田氏は「数の政治」を微妙に行っているわけだが、しかし、少なくとも彼は自らの「主張の正しさ」を、それが多数派か少数派であるかどうかに基礎づけてはいないし、また権威で組み伏せようとしているわけでもないのだ。

(アップした直後に修正、さらに微妙に加筆)
(それから歯を磨きつつこの文章つっこまれまくりだろうなあ、と思いつつも「もういいや、寝る」とほっぽったわけだが、起きたらまだつっこまれていなかったので加筆修正。)