ジャーナリズムとマスメディア

武田徹 オンライン日記4月3日付
http://162.teacup.com/sinopy/bbs

 多くの人(フリーランスのジャーナリストであってもーー)はジャーナリズムをマスメディアの立場から考えている。影響力があり、世論を動かせてというところにジャーナリズムを位置づける。これはいわば「極大の地平においてジャーナリズムを考える」立場だ。ぼくが個々のジャーナリスト個人からジャーナリズムを考えようとするの対して、マスメディアからジャーナリズムを考える立場が一方にあるということを、改めてぼくは確認してきた。そしてこの「極大の地平においてジャーナリズムを考える」立場はとても根強い。多くの人にーー、ジャーナリストやそれ以外の人を含めてーー特に反省されずに抱かれているジャーナリズム観となっているように感じる。
 こうした配置図が見えてきて、自分が何をどうすればいいのかも分かってくる。
 ぼくだって日記にしか自分の本心が書けない状況で良いとは思っていない。自分の考えを、自分で調査したことを、より多くの人に伝えたいと思う。自分で良かれと思ったことを報じているのだから、その延長上で世論を動かせればと願う。
 それに職業としてのジャーナリズムは極小地点ではなりたたない。それはジャーナリストが経済的に自立できないということであり、さらにいえば取材経費を使うことも出来ないということだ。
 そんな複数の理由から、ぼくもまた極小の地点からいかに出て行けばいいか悪戦苦闘してきた。幸いなことに、この掲示板など幾つかの例外以外はぼくの仕事は高額ではないが換金されてきた。日記こそジャーナリズムの原形とかいいつつも、ぼく自身は日記だけを綴るジャーナリストではない。
 ただその一方で極大の地平で活動してきたマスメディアが、その極大の地平の脆弱さ気付かないが故にいかに多くの問題を孕んできたかも知っているつもりだ。メディア批判を仕事にしてきたのは、まさにそれを指摘することだった。ぼくはマスメディアにしかジャーナリズムはないと考える人を許せない。それは現状においては、ジャーナリズムをジャーナリズムではないものに変質させてしまうこと以外の何ものでもないと思う。
 となると極小の地点と極大の地平のどこにバランスポイントをみてゆくかが重要になる。自分の仕事の位置づけとしても、またジャーナリズム教育の立脚点としても。

林香里『マスメディアの周縁、ジャーナリズムの核心』新曜社 2002年 ISBN: 4788508095
の議論と重なる問題意識かなとメモ。あ、この本チェックしてくるの忘れた。くそ。
http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/4-7885-0809-5.htm
Cf. http://www.akaokoichi.net/media/media5.htm