記者会見の報道の方法

イギリスに来てテレビや新聞に慣れてきて感じたことは、政治家が言っている言葉まるのままが、全体として報道されているということだった。もちろんこういうことは相対的なものだが、この印象は今にいたるまで変わっていない。逆にいえば、日本では、政治家の言っている言葉が常に過度に編集されたうえで報道されているということだ。前にもクリッピングした成田好三さんの論考の続きが27日に出ていて、より具体的に問題を指摘、具体的な改善策も提案されている。
成田好三 「衆院選を振り返る−TV時代に対応できないメディア」(2003年11月27日(木)) 
http://www.yorozubp.com/0311/031127.htm

TV、新聞とも記者会見を断片的に、あるいは細切れに処理している。平日に毎日午前と午後、首相官邸で行われる内閣官房長官の記者会見を例に挙げる。TVニュースは主要な部分だけを切り取って流す。質問者の声が入ることはほとんどない。断片的に切り取られた官房長官の答えの、しかもさわりの部分だけがオンエアされる。

 新聞も、記事の中に「答弁」を挟み込むようなスタイルで書く。記者と官房長官のやりとりを「一問一答」のスタイルで記事化することは、よほどの重要ニュース以外にはしない。記者会見は本来、「質問―答弁」が一体となって成立するものだ。だから、答弁の真意も一体の流れの中で把握すべきものである。

 記者会見を断片的に扱う理由を問われれば、TVはニュースの時間枠を、新聞は紙面枠を挙げるだろう。ニュースの限られた時間内に質問まで入れる余裕はない。限られた紙面を無駄使いする訳には行かない。彼らは愚問に対応するかのようにそう答えるだろう。

 しかし本当にそうだろうか。細切れに切り刻んだ報道スタイルは、読者や視聴者に記者会見の「真意」を伝える妨げになっているばかりか、メディア自体の首を締める事態に追い込んでいるとは考えないのだろうか。

 福田康夫内閣官房長官は気に入らない質問をする記者に対して、あなたはどの新聞(TV)の記者か、といった慇懃無礼で実のところ恫喝的な問い掛けをする。東京都の石原慎太郎知事は恫喝そのものと言っていい言辞を記者会見で多用する。彼らに対しても、細切れではなく「質問―答弁」とが一体となった報道スタイルは有効だとは考えないのだろうか。

「質問―答弁」が一体となった報道スタイルを取れば、質問者と答弁者のどちらに「理」があり、どちらに「非」があるかは、読者や視聴者が自ら判断できる。メディア自体の自衛策としても有効な手法ではないか。

そう、メディア側にも有利なのに、なんでこういうことしないのかね。