ブライト (続き)

http://books.guardian.co.uk/review/story/0,12084,981412,00.html
ドーキンスの文章を「楽しいっすよ」っていって紹介したものの、この楽しさって意外とわかりにくいかも、と思った。まあ、この記事の翻訳は難しいだろうなあと思ってはいたのだけど。メッセージの内容そのものは普遍的でありながら、それを伝える表現は英語のポテンシャルをいっぱいに使って書いてあるから。一応、最後だけ訳してみよう。

「私は賢いです(I am bright)」というと傲慢に聞こえる。でも「私はブライトです(I am a bright)」というと、あまりに馴染みがないものだから傲慢には聞こえない。ちょっと不可解で、謎めいていて、人の興味を引き立てるところがある。質問を誘うところがある。「ブライトっていったいなんだい?」 そしたらあなたの番だ。「ブライトというのは、超自然的で神秘的な要素から切れた世界観をもつ人のこと。ブライトの人の倫理とか行動は自然主義的な世界観に基づいているわけ。」
「つまり、ブライトってのは無神論者のこと?」

「うーんと、ブライトのなかである人たちは、自分たちのことを無神論者っていうだろうし、別の人たちは自分たちのことを不可知論者*1っていうかな。また、あるブライトたちは人間主義者って自分たちのことをいうだろうし、別のブライトたちはフリー・シンカーっていうかもね。でも、どのブライトたちにも共通しているのは、超自然的で神秘的な世界観からは切れた世界観を持っているということかな。」

「ああ、わかったよ。それってちょっと「ゲイ」みたいだよね。じゃあ、ブライトの人の反対ってなに? 宗教的な人のことをなんて呼ぶの?」

「きみだったなんて呼ぶ?」("What would you suggest?")


もちろん、われわれブライトはブライトというのが名詞だと周到にも言い張るわけだけれども、もしこの言葉がヒットすれば「ゲイ」(という言葉)みたいにひろがって、最終的には、新しい形容詞として再浮上するかもしれない。それがおきれば、ひょっとすると、ブライトな(ブライトで賢い)大統領が出るかもしれないのだ。

こう書くとなんかあんまりおもしろくないかもしれないけど、「きみだったなんて呼ぶ?」(本当は丁寧語で「あなただったらどう呼ばれますか?」だな)(What would you suggest?)ってのがすごくいたずらっぽく聞き返してる感じなんだよね。すごい英語っぽい。そして、そう聞きかえされた人がなんて答えるだろうかと考えると、面白い。

こう聞かれたら英語話者ならば、brightが人について用いられる場合の反対語を思い浮かべるはず。つまり、この文書の読者は dull (退屈な)とか、stupid (バカな)、とか thick (頭が鈍い)とかいう言葉をつい考えるはずだ。でも、宗教的な人につかっていいのかな、と躊躇する。それを見ているブライトの人の顔がいたずらっぽい笑いをこらえられなくなっているのを想像できる。

この訳した部分の英語の原文を音読するとそのコミカルな感じがだんだんつかめてくると思う。で、文章全体もそういうふうに、かなりインタラクティブな感じ。ドーキンスの啓蒙的文章の名品の一つじゃないか。ただ、日本語にはうまくならないか。

つけたし。もちろん最後の大統領というのは、ブライトの正反対である今のアメリカ大統領のことが念頭にあることはいうまでもない。

*1:神がいるかどうかは知ることができないという立場の人