Remembrance Day 戦没者追悼記念日

毎年この時期になると、町中でみかける多くの人々が胸に赤いポピー(ヒナゲシ)の造花飾りをつけはじめる。最初、なんなのかよくわからなかったのだが、これは戦没者を記念する印なのである。

この時期は、Remembrance Sunday 戦没者追悼記念日曜日で一つの頂点を迎える。この日曜日は、第一次大戦の休戦日である11月11日にもっとも近い日曜日であり、今年は8日だった。この日曜日の朝に、ロンドンのウェストミンスターにある戦没者記念碑(the Cenetaph)において女王が出席する記念式典が行われる。そして、今日、その11月11日(Remembrance Day 戦没者追悼記念日)にも朝11時に2分間の黙祷が捧げられる(地上波テレビの全ては2分間各地の黙祷場面にきりかわる)。

戦没者記念碑は、第一次大戦以前には存在せず、この大戦後になってはじめてつくられた。第一次世界大戦がヨーロッパ全体(プラスアメリカ・カナダも)にとっていかに深い傷口を残したのか、ということを思わされる。

また、日曜日の式典を見るたびに(今年は見なかったが)考えさせられるのは、戦没者記念式典に、いわゆるイギリス人だけではなく、旧植民地の人々も誇らしげに出席していることである。旧植民地の人々といっても、英語でpeople from former coloniesなどといったりは決してしない。彼らは、people of the Commonwealthなのである。日本語でコモンウェルスは「英連邦」と訳されているが、要するに、「以前英帝国の領地で,英国(女)王を連邦の象徴としてまた首長として認めている諸独立国およびその属領の自発的な連合体」である。

このコモンウェルスの存在自体を面白いと思う。カナダ、オーストラリアなどは別にしても、アフリカなどでは19世紀後半のBenevolent Empire(情け深い帝国)のイデオロギーがいまだに部分的には受け入れられているのだ。こういうふうなところがイギリスによる統治が巧妙だったところだと思う。

巧妙というのはある意味結果論であるが。というのは、そのイデオロギーを、それが自己欺瞞であれ、本気で政治家たちが信じていてたりするからだ(トニー・ブレアもそういう政治家の一人と考えてよい*1)。日本の植民地政策を、こうした「よい帝国」イデオロギーの有無、あるいは現地におけるその教育的失敗といった側面で比較するのは面白いように思う。ってだれか絶対もうやってるだろうけど(知ってたら教えてください;小熊英二とか書いてそうだけどな、読んでないんだよね)。

*1:この関連で、最近、No frillsの人がかいている新植民地主義http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2838/translation/neoimp1.htmlを理解することもできる。Robert Cooperは最近Civilise or Dieというすごい題のアーティクルを書いているhttp://www.guardian.co.uk/comment/story/0,3604,1068851,00.html