マニフェストといっても。

今日が投票日である今度の総選挙は、たとえばたまたま今見た朝日新聞の記事をひいても(というか引くまでもないのだけれど)

小泉改革路線の継続を掲げる与党側に対し、野党各党は経済や社会保障政策、道路・郵政問題、憲法、外交などのテーマで対案を示し、具体的な政策を競い合うマニフェスト政権公約)選挙ともなった。

ということのようである。で、あちこちでマニフェストの比較が行われていて、これまでよりも少しだけましになったようである。でも、別にいままでだって政権公約がなかったわけでなく、ほんの少しだけ具体的にになっただけだ。形式的にはイギリスの「マニフェスト」に近いものになったのかもしれないが、ここで述べたいのは「マニフェスト」そのものについて、というよりは、それをとりまく政党の政策発表とその検討のシステムについてである。


イギリスと日本の違いでもっとも重要なものは、それぞれの党大会のあり方とその報道のされ方である。日本の党大会というのは1日、しかも数時間だけで終わるものと考えられていて、しかもその内容が詳しく報道されることはほとんどない。そもそも、いつそれぞれの党の党大会がひらかれているのか知っている人はほとんどいないだろう。おれもしらない。参考:google:党大会

イギリスのそれは全く違うのである。9月の半ばごろから、週をずらして、Liberal Democrats(自由(民主)党)、Labour(労働党)、そしてConvervatives(保守党)が、それぞれ4日ほど、イギリス各地のリゾート地(ブラックプール、ハロゲイト、ボーンマスポーツマス、ブライトンなど)の会議場を借り切って、それぞれの党の執行部が新たな政策パッケージをそれぞれの分野について発表、毎日党の執行部の主な人物が1時間にわたる演説を午前と午後にぶち、それをBBCが生中継するのだ。(この1ヶ月弱の時期をparty conference seasonと呼ぶ。)また、それぞれの政策分野については分科会がひらかれ、出席した党員は、その分野の専門の議員に直接議論をすることができる。党員はもちろん泊りがけで、ある種のエンターテイメントとして政治の議論を聞く場として、またこれからの党の政策の形成に参与する場として党大会にくるのである。(党大会に集うような党員のことをparty activistsという。)

選挙が目前に迫っていなくても、当たり前に毎年新しい政策をこの場で打ち上げる、という点が重要だ。さらに重要なのは、党大会会場において党内に理解と支持を求め、同時にテレビ・メディアを通じて国内全体へのアピールするような構造になっていることだ。もちろん、党大会会場では執行部の打ち出す政策に基本的には好意的であり演説中にはしばしば非常に長い拍手が巻き起こる。そうやって、党の結束と政策を国民にアピールするのだ。

政権にある党は、その前年においてどれほど自分たちが国の状況を様々に好転させたか、という点について数字をあげて自らの成果を誇る。野党は、政府の政策の問題点を突きつつ、オルターナティブな選択肢を提出する。

BBCでは、それぞれの党大会期間中、その日に提案された政策とその日の演説の出来についてさまざまな批評、解説がなされる。翌日の新聞でもかなり詳細な政策の紹介と、前日の党大会での出来事についてかなりの紙数が費やされる。演説の出来はなかでも特に重要で、内容、ジョーク、身振り、あらゆる側面についてかなり厳しい目で批評される。

もちろん、選挙になれば、それまで練り上げられてきた政策をもう一度マニフェストというかたちで纏めなおすことがなされるわけだが、そうした政策についてはすでに一度かなりの検討がメディアを通じてなされているのである。

で、こういう基礎がシステムとして存在しているので、マニフェストが活きるのだ。


さて、日本だが、そもそも党内のなかでさえ1日たらずの党大会でなにが共有されるというのだろうか。しかもそこで政策が発表されるわけでもなく、テレビ・新聞でもカバーされるわけでもない。まあ、党大会とは違ったやり方でやる方法もあるのかもしれないが、党大会以外に、政策を党全体として議論する場にどのようなものがあるのだろうか。また、ないよりはマシだけれども、選挙の直前にだけ政策を打ち出してくるのは怠慢ではないだろうか。


今回のとりあえずのマニフェストの導入は、こうした広義の、政治を支える、メディアの体制をも含めたシステム構築への第一歩に過ぎない。そこのところよろしく。