課題1

昨日(つうかおとついになっているのか、日本時間では)の日記を書いて、上げてから、かなりはずかしい気持ちになったのではあった。しかし、まあ、いい。すっきりしたのもたしかだし。しかし、自分でひっかかるポイントが少なくともひとつ。

昨日書いたのは、要するに、『やがて哀しき外国語』とその後の村上春樹に明らかにあらわれているノン・コミットメントからコミットメントへという転向と同じものなのだろうか、そうではないのだろうか。そういう問いが聞こえてくる。

昨日僕が書いたことと、村上春樹の転向にある種の平行性が存在することはたしかだ。そのうえ、僕はあの本に一時期かなり影響を受けた時期がある。95年の夏、一ヶ月僕はドイツに一人でいた。そして、そのとき、たまたま日本語で一冊だけ持ち歩いていた本は、『やがて哀しき外国語』だったのだった。

でも、僕は、なにかが確かに違うと思っている。でも、自分のことでありながら、その違いをうまく指し示すことができない。とりあえずhttp://d.hatena.ne.jp/solar/20030927で少し話題になった

片岡義男日本語の外へ

を取り寄せてみたところだ。『やがて哀しき』も読み直してみないといけないだろう。あれから、僕自身も5年イギリスぐらしをすることになった。『やがて哀しき』を読み返せば、違和感を感じることもあるだろう。あと2ヶ月は読む時間がないだろうが、何を発見するか楽しみではある。