ストライキと関わること

博論の口頭試問が目前に迫っている今朝、突然電話が僕のデパートメント(学部)の事務から。
「ごめん、悪いニュースなの。先週、AUT(大学教員組合とでもとりあえず訳すか)のストライキがあったの知ってると思うけど(id:flapjack:20040224#p4参照)、実はまだ続いている部分的ストライキがあって、それは審査(口頭試問もふくむ)への出席拒否というかたちで続いているわけ。あなたのヴァイヴァ(vivaと綴る:口頭試問の意)にも影響しそうなの。」
「つまり、来週のはキャンセルということ?」
「ほぼ確実にそう。しかもストライキがどれくらい続くかとかわからないのよ。だから、日程を再設定するのもちょっといまわからない。数ヶ月口頭試問がひらかれないことも可能性としてはなくはない。」
「うわーー。」
ともかく、事情の理解につとめるとと共に、どういうふうにこういう場合に行動すればよいかについてアドヴァイスを適切な方面に伺い、さらに関係各所にとりあえずこちらの言い分も伝える。数多くの電話でのやりとり。

数時間後、口頭試問をとりしきる学内審査員(internal examiner)である先生から電話があった。最終的にAUT側から「例外とする」との打診を受けたとのこと。さらに、学外審査員(external examiner)も了解したとの連絡をうける。そういうわけで結果的には、予定通り口頭試問が行われるということになった。胸をなでおろす。ちょっとしたemotional roller coasterであった。

イギリスの(大学教員をも含む)パグリックセクターが80年代のサッチャーによる「改革」以降、いかに予算を削減されてきたかということはまわりからの話でも、ここ数年頻発する各職種でのストライキによっても(最近でいちばんでかかったのは消防署員によるストライキ)、重々承知している。
去年読んだ新聞(ガーディアン)で、イギリスの大学教員のうちの実に「3分の2」が真剣に職を変えることを考えたことがあるという調査が発表された。先週のストライキ時には、最近実際に大学をやめて、ガス屋さんになった理系の研究者がニュースに数度出ていた。テニューアの職の数が少なく、不安定な身分(いわゆる期限付きのポスドクに長く留まらねばならない)である研究者の問題を訴えていた。彼は、BBCに出演した際には、何人もの大学研究者から、どうやったらガス屋として再トレーニングを受けることができるのか連絡があったという話も披露していた。小学校などの教員もあまりにペイが悪いため、人があつまらず、人手不足で学校を休みにしなければならないところも出ているほどだ。(つまり、公務員になりたがらない、というわけだ。公務員に殺到する日本とはよきにつけあしきにつけまったく異なる。)
なので、AUTのストライキの言い分も理解するし、実際自分が受け持つクラスも、AUTのメンバーではないにもかかわらず、AUT(とそれに加わる先生たち)への支持をいう意味もふくめて、ストライキの日を避けるように動かした(さすがにキャンセルするほどこちらに余裕があるわけではない;もちろん、いろいろな事情でキャンセルしたり動かしたりせずに通常通り授業をした人もいる)。
日本ではストライキがあんまり起こらないのは、消費者がストライキによって起きる迷惑を訴えすぎるからではないかとこちらにきてから思うようになった(間違えかのかもしれないけれど)。日本では消費者が「神様」でありすぎる気がする。消費者としているぶんには日本は天国なのだが、「労働者」としてはきついなあとイギリスにいると思う。*1
そう思う分だけ、今回のようなケースは難しかった。「労働者」の大義はわかるが、サービスの「消費者」の立場としては困ることも確かなのだ。どういうふうにふるまえばいいか。どういうふうにこちらの言い分を伝えるか。幸い、板ばさみになった内部審査員の先生がよくわかってくれてうまく動いてくれて助かった。例外を(内々に)認めてくれたAUTにも感謝する。まあ、口頭試問でパスするかどうかはまた別の話だけれども(笑)。

*1:日本では公務員のストライキは(戦後のゼネ(ラル)スト(ライキ)の時の関係でかで)法的に禁止されているのではなかったっけ? いまでもそうだとしたらそれも変だと思うけれど、公務員が(一部)恵まれすぎているような気もするし、かといって、今の都立大みたいな極端な動きとか、一律ぜんぶ任期制にしてしまうというのもなんだかな、と思うのだ。むずかしい。